2013年12月19日木曜日

#8 意思伝達

全て仕事とは、人~人へ 意志意向を正確に伝えるということから
はじまるのではないでしょうか?
私の父方の祖母は 『とな』 という名前で
明治の初期に生まれ昭和16年に亡くなるまで、とても勤勉でその頃の平民は
読み書きできる人が少なかった時代に
読み書きそろばんも達者で、嫁に来た当初から、近所の人達から
書き物があると よく頼まれたようです。
それに、とても手先が器用で けっこう大きな鶏小屋など
一人でつくってしまったようです。
その祖母の とな様(武家から嫁にきた)の 嫁入り道具、
私が実家を建てなおした際(昭和63年)頂いてきて
大事にそのままの状態で今日まで 使わせてもらってまいりました。
もともと着物を入れる箪笥でしたが、私としては我が家にとって
最も大切にしたいものだけをしまっておきたい と思い
(私が今まで手掛けさせて頂いた仕事によって
得ることのできた知識知恵のかたまりのようなものばかり)
以前からもうすこし今風にリフォームしたいなと思っていました。
しかし 直すというのも なかなか度胸がいるもんです。
というのも 明治時代の祖母の 嫁入り道具。
当時の職人が丹精こめて造ってくれたものの形をくずして今風に造り変えるような
大恐れたことをするのには 躊躇しました。
しばらく考えましたが、リフォームするのは 「今でしょ!!!」
と 度胸を決め このたび完成し 
益々 無二の宝物として大切にしていこうと思うことと同時に 
祖母の生みの親である
私の曾爺ちゃんが、明治の初期 娘に 『とな』と命名したことが
どんなにすごいことか と 思いました。
Because なぜならば 「トナー」というと 現代社会において 物事の
意志意向を伝達する、ファクシミリコピーには 
欠かすことのできない、物質の一つだからです。
そこまで 曾爺ちゃんが 世界中の人々に
親しまれ重宝される名前であることを信じて そのときに Naming
したかと思うと 頭が下がります。
    棟梁 杉山睦雄

2013年12月9日月曜日

#7 渡る世間は〇〇とやら

時のたつのは早いもので、もう今年も12月ですね。
この寒さで思い出すことがある・・・  30年くらい前のことだったか、
今のセノバの近くで玄関だけリフォームしてほしい、と頼まれました。
そのお宅では 車を置くスペースはなく 仕事をするにも 材木も広げられなくて
仕方なし、道端へ作業台を用意して、柱の鉋がけをしていた。

外はカラっ風がビュービューふいていて とても寒いけど、しゅるしゅるしゅるしゅる~と
調子よく柱を削っていたら、
鉋屑が道路の風下の方へ舞っていってしまった。

しばらく そのj状態で 作業をしていたら 隣のモータース(風上隣)の社長がでてきて

「こら!! こんなところで仕事してっ  鉋屑がまっちまって 近所迷惑だ!!」
と ひどく怒られてしまった。 もうこれじゃあ どうすりゃいいんだ?と
八方ふさがりになってしまい、しばらく困っていたら、

その社長 続いて何っていったかというと、
「みんなに迷惑かかるから 家の駐車場を使え!」
といってくれたのです。

駐車場はまだまだ何十台もとめられそうな広いところ。
その1角に けずり台を置かせてもらい できるだけスペースを広げないように
その日1日 作業をさせてもらいました。


考えてみると、風上隣の モータースの社長さん宅の方へは その、
かんなくずが 舞い込むことはないのに

「みんなに迷惑がかかるから うちの駐車場を・・・・」  と言ってくれた

気持ちの広い人も 世間にはいるもんだな   と 思いながら、
その日1日中 有り難いような 申し訳ないような気持ちで仕事をさせていただきました。

今現在進行中の現場の向いのお宅の人達も、

工事初日に

「ここは 道が狭いから路上駐車しないように!!」と言い。
「あいてる時は私っち駐車場へ置いてくれていいよ!」 と言ってくれたので
お言葉に甘えて、置かせて頂いてます。

人様に迷惑かけないように自分の敷地を使えと言ってくれた人に、
たびたび目かけられながら 長い間 この仕事をやってこれたことが 
とても恵まれていて 有り難いことです。

この話を 橋田壽賀子に聞かせてやりたいくらいだ。

「渡る世間に鬼はなし」 とね・・・・。 


                                     棟梁 杉山睦雄

2013年11月16日土曜日

#6 太っ腹のサンタクロース



私が小学生の頃のこと、
毎年この時期になると外国人からクリスマスパーティーの招待状が届くのです。
送り主、そのお方は当時日本在住のアメリカ人で
後に静岡市の名誉市民になられたお方、

エミリー・M・マッケンジーさん です。写真右側、、、私達はホイットニー・マッケンジーと呼んでいましたが・・・

マッケンジーさん  といっても、  ジーさん  ではなく、そのころ60才くらいの
それはそれは、やさしくて気品のあるブロンズの髪がきれいな おばあちゃんのこと、

昭和30年代の私達の村は
前浜でのいさみ漁(地曳網漁)で 生計をたてていた家がほとんどで
 貧乏人の子沢山の村でした。

そんな村人の誰もが 「マッケンジーさん!!」と呼び親しまれていたおばあちゃんのお話。


マッケンジー邸は プライベートビーチのように歩いて行ける海のほとりに 
松林が延々と連なる 閑静な海辺、東を見ればいつも 富士の雄姿をながめられる 
スペイン風の大邸宅の別荘でした。

マッケンジーさんは大変な親日家で 天皇家とも御交友があり、
秩父の宮妃殿下が邸宅に遊びに来られた時 
校長先生をはじめ 小学校生徒と先生全員で 日の丸の旗をふって
お出迎えしたこともありました。

その頃の国道150号線は 砂利道で  (1号線の静清国道もそうでした、)
私達の村に車は1台もなかったころ、
アメ車のジープが 通るたび見えなくなるまで手を振っていたことを鮮明に覚えています。


マッケンジーさんは無類の子供好きで、ある年のことそのパーティーに招かれ、
私にとっては生まれて初めての体験。


門の入口からきれいにされているアプローチを通り、奥に案内されると
そこはまるで別世界!!!
初めて見る異文化の館・・照明をおとしたホールの中央には
キラキラと輝くクリスマスツリーが飾られてあり、
その周りを 
「さぁ! 輪になって~~!」  とパーティーがはじまりました。

♪♪♫ サ~イレンナィ ホ~リ~ナイ~ と歌いながらツリーを囲み 回るのです・・・が 
そのころの私は極度の内向性(今でもそう??)で
とてもそんなことできなかったのです。
活発で度胸のある子は 率先して オルガンの前に行き
明るく歌う子もいました。

私はといいますと、ホールの隅っこで もじもじ
すると なんと マッケンジーさんが片言の日本語で 「チイサイコ マメ(前)・・・・・・」といって
下を向いている私の手をとり輪の中へ・・・

こうして 私も 和 の中に入れてもらえたものでした。
その時のマッケンジーさんの手は とてつもなく白くて柔らかくて 
優しさそのもの。

50年以上たった今でも その温もりは忘れられない良い思い出です。 

なんと言ってもスゴイのは 、
当時の大里東小学校の 460人もの生徒みんなを 
毎年招待してくれていたことです。

太っ腹のサンタクロース !!!! 
有難う!!!!!!! 感謝感謝です。



                               棟梁 杉山睦雄
  

2013年10月31日木曜日

#5 ほめられると ビビるタイプです

この頃 朝は肌寒い、、、
10/30 昨日は、親父の生誕記念日

生きていれば113才になるんだな。

13年前のこと、ちょうど今頃の季節の朝  急きょ 仲間から限定1日の仕事の応援を
頼まれていて 10番目の弟子と 出かけた。 

夕方、その日の作業も何とか終わり道具をまとめ帰ろうとした。
そこへ入れ替わりで    ご主人(初対面) 帰宅。
弟子と車に乗り  帰ろうとしたとき、

「大工さん!! ちょっとまって!!!」



と怒ったような口調でご主人に 呼び止められたのだ。
私と弟子はしばし顔をみあわせ 「何かなぁ?」と不安な気持ちで玄関に戻る。
するとおもむろにご主人    数秒後

「大工さんち  いい仕事するなぁ!!」  と 言いながら

御主人 Q.「大工さん 1杯ヤル・・・・・?」

私 A.「えぇ  晩酌ぐらいなら・・・・・」

御主人 「それじゃ これ持ってけ・・・・・!」   と 酒1本を差し出され
それがなんと 真新しく キラキラ光る 金粉入の 一升瓶。

おこられると思っていたら ほめられた帰り道 

弟子と複雑な気持ちで帰宅。

さっそく1杯! かみしめながら今日のシゴトのあれこれと差向。
それ以来

「ほめられるとビビるタイプ」になってしまったようだ。


                      棟梁 杉山睦雄

2013年10月18日金曜日

#4  個の力

最近 新しく耳にした、自分自身も日頃考えていたこと。



それは あの 福山雅治 主演映画 『そして父になる』
の脚本家の言葉。

彼の「映画作りで基本概念としていることのひとつに、長いストーリーの中、台本、ところどころに
□  □  □  空白をおく  ・・・  」  こと

ドラマの中、子供たち4人  公園の遊具で遊ぶシーン、車から降り いっせいに4人とも
遊具のほうへ 走っていく  ・・・。

静かに見守っていたら

4人で乗るとバランスがとれて遊べる、 腰かけてゆらす大きなブランコに飛び乗り、
4人とも大はしゃぎ!  今までにない笑顔!! 
この時 作者の頭の台本では、ひとりの子供が 一人乗りのブランコ に乗ることを
想定してあったのだという。

本番中のカメラが廻り始めて その瞬間、瞬間で採れたての 新鮮な笑顔!
自然に発せられた言葉!  を どんどん撮りいれて映画作りをするのだと。。。


私達の仕事もそうである、個性あふれる職人 一人ひとりが 持ち合わせている技術を
最大限に引き出しながら、日々育っていく現場であるから 
その  □  □  □  空白の台本を上手にうめてくれる 
個々の力の結集が大切である。



                              棟梁 杉山睦雄

2013年10月4日金曜日

#3 メモ用紙


        私は 数拾年も前から 枕元にメモ用紙を 置きながら 休むことにしている。









     明日の仕事に差し支えてはいけない 事柄、今日初めて耳にした言葉、 
    眠りながら良いアイディアが ひらめいた時、等々 こまめにメモをすることが習慣に
    なっている。

    40数年前のこと ちまたでは 高度成長期の 真っ只中 

    あらゆる 職種の人達が 忙しい日々を送っていて、
    私も同様にして 分刻みの 忙しさの中        ある 晩のこと

      当時19才だった 家内への プロポーズの言葉。 その日の仕事上がり はだし足袋
   (たび) のまま ハンドルをにぎりながら、 傍らの 彼女に 神妙な面持ちで

       「今日からは自分のメモ用紙になってくれ・・・・・!?」

    と言った。     彼女は軽く頷いてくれた。

   その瞬間から 自分の頭の中の メモ用紙と もう1冊の メモ用紙が出来、 
    幅がひろがり スゴク安心したことを 今でも覚えている。

   自分にとって の メモ用紙とは 単なるメモ用紙ではないのです。

   相手方から 頂いた メモ、 自分から発信したメモの全てを綴り、
  
       一軒の住まいが完成するころには メモ用紙  ~   メモ用誌 、 
   1冊の本のようになるのです。

     しかし ある有名な工業デザイナー が こうも言ってました。

       「通常業務としては まめにメモをとるが、世界にひとつしかない素晴らしいと
   
           思うアイディアがひらめいた時には あえて メモをしない・・・・・」

       「翌朝そのアイディアが鮮明に浮かんでこないような アイディアでは
           良いデザインとはいえないからだ。」    と。。。


                                     棟梁 杉山睦雄
                                      

2013年9月17日火曜日

#2 余暇




こんにちは!!








住まいの間取りを あれこれ考えているとき、それはそれは  WAKU WAKU するような
                                       楽しい時間ですね。

気に入った間取りに落ち着くまで、 考えれば考えるほど 想像力がふくらんでいき・・・・・

  このようにスペースとは 頭の中にあるものでしょう。

                        限られた土地の広さであっても 工夫次第!


人間に 与えられた時間というスペースもそうであろう。

人はよく 暇がない、時間がない・・・・・ とぼやきがちですが、それは違うように思います。


           何事をするにも『今何をすべきなのか??』


そのすべきことの 優先順位を的確に見極めながら ひとつひとつのことに 集中しこなしていくこ

とによって生まれた僅かな時の きれっぱしを 掻き集めてできたスペース。

              きれっぱし の時間だからこそ 

        その貴重なひと時が 格別に楽しく感じられるのではないでしょうか?

きっと暇を 持て余している人にとっては、 余暇  というものは 

                   存在しないのかもしれませんね。。



                                           棟梁 杉山睦雄

2013年8月31日土曜日

#1  生命体



本日は 第1回 棟梁のブログです。
月2回ほどの ペースで更新していく予定です。

棟梁といいますと ちょっと 怖くてねじり鉢巻きにハッピ なんかをイメージするかたも いらっしゃるかもしれませんが、   Sugieの棟梁は 少し違います。

今風のセンスを持ち合わせた、型破りな 異色の棟梁です。

相性 「むっちゃん」  

是非是非 棟梁のブログに 触れてみてくださいね! 

それでは、どうぞ。。。






     『生命体』



人が生きていく為に 絶対欠かせない最も基本となることに 

             衣 ・ 食 ・ 住 が あるでしょう。


その人様の 大切な住まいを造らせて頂くことが、私の生涯に課せられた使命と思いつつ


今日も右手に設計図、左手に手作り弁当(愛妻)を抱えて出掛ける。
                            気が付けばこんな生活が40年。


時代は変わっていっても、お客様ひとりひとりの考え方 ご要望は多種多様であり、
できるだけのことに対応出来るよう 日々勉強です。


家造りとは、昨日までなにも無かった大地に 土台をつくり、やがて骨組ができてきて 
日ごとに 育っていく  ・・・・・  。  

その過程 (家庭)  は 正に子育てのようなものです。

一つの家を 生命体と思えば 
        これに   真剣   にかかわらずにはいられません。 


                            SUGIE KENSETSU 棟梁  杉山 睦雄